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大河ドラマ 花の乱 完全版 第壱集 DVD-BOX 全5枚セット

   

 


 

 


※ラッピングのご注意点 ・商品個々の包装は承っておりません。

八代将軍足利義政の妻、日野富子は本当に悪女だったのか・・・。

将軍の後継者争いを引き起こし、後世の歴史家から”応仁の乱の原因をつくった稀代の悪女”と評された日野富子を、脚本の市川森一が独自の解釈を加えて新たな人物像で描き出した作品。

(全37回放送) 【収録内容】■DISC.1第1回 『室町夢幻』寛正5年(1464)、鹿苑寺金閣で開かれた能の席にて、室町幕府八代将軍足利義政は妻である日野富子に「将軍の職を退く」と告げる。

将軍の子を宿すことを夢見ていた富子は、法界寺阿弥陀堂に籠もり悲しみにむせる。

一方、義政は既に仏門に入っていた弟の義尋(後の足利義視)に将軍職を譲ろうする。

時はさかのぼり嘉吉3年(1443)、南朝の再興を願い神爾を奪った日野有光は山名持豊(後の山名宗全)に追われ、伊吹十郎太の護る椿の庄に逃げ込む。

その伊吹十郎太には椿という娘がいた・・・。

第2回 『火の橋 水の橋』細川勝元はじめ、多くの幕臣は義尋が次期将軍になることを受け入れた。

しかし山名宗全は後継者は議論のうえで採決するべきと不服であった。

ある日、富子は幼女時代の夢を見た。

富子の母 日野苗子と洒呑童子との間にできた子(後の日野富子)は不要の子として川に流された。

一休和尚に拾われた幼子は椿の庄にて椿と名付けられ育てられていた。

翌年、苗子は再び女子を産むが、病で失明してしまう。

富子の兄である日野勝光は椿と盲目となった子を密かに取り替えてしまう・・・。

第3回 『月と銅銭』15歳になった富子は、暴れ馬にまたがるようなおてんば娘に育っていた。

そのことを気に掛ける勝光は富子に古今和歌集を与え、銅銭の価値なども教えた。

そして富子は銅銭を使ってみたいと侍女を伴い京の町へ出た。

そのころ幕府では義政の母である日野重子と乳母である政治にまで口を挟む今参局が対立していた。

そして幕府最高職である三管領のうちの畠山家では、義就と政長との間で家督争いが起こっていた。

管領 細川勝元は舅 山名宗全も巻き込んで政長を支援していた。

■DISC.2第4回 『夢草紙』幕府では六代将軍義教暗殺のかどにて廃絶となった赤松家を再興しようとする動きがあった。

今参局に促された義政は赤松家再興を決意。

反対する母の日野重子や山名宗全と対立した義政は宗全を討つといいだす。

宗全は大乱と娘婿である勝元との戦を避けるため領国・但馬ヘ退去。

重子も室町第を出て釈迦堂に籠もってしまう。

一方で義政は細川と山名が味方した畠山政長を大和国へ追放し、畠山義就を京ヘ戻した。

勝元は今参局の台頭を抑えるため日野勝光と一計を案じる。

義政と富子を引き会わせようとの策である。

第5回 『富子姫変化』夢の中の貴公子にようやく出会った富子だが、名を聞くことができぬまま別れる。

その出会いの後、義政は富子との婚儀を急ぐが、今参局がそれを阻止しようとしていた。

日野家に間者を放ち、富子に正気を失わせる薬を飲ませ続けた。

そのころ赤松則尚は赤松家再興を望み、播磨で挙兵した。

しかし山名宗全の1万に及ぶ大軍の前に、あっけなく敗れ去るのであった。

薬により日に日に正気を失っていく富子は一日中鼓を打ち、夜な夜な白馬で洛中を疾走するなどの異常な行動を繰り返していた。

第6回 『徳政一揆』康正19年(1455)8月、解毒の効果もなく、富子は正気に戻らぬまま輿入れの日を迎えた。

今参局は富子の奇行を義政に告げるが、義政は聞く耳を持たなかった。

いよいよ室町御所に到着した富子との再会に胸を躍らせる義政だが、その期待は裏切られる。

富子は義政を覚えてないというのであった。

この年の秋、山城国の地侍に先導された国人や農民などが徳政発布を求め、土倉や酒屋を襲う一揆が起こる。

ある日、富子は義政に狂人を装っていたことを打ち明ける・・・。

第7回 『女合戦』長禄2年(1458〉春、御台所懐妊の報せが御所を賑わせた。

帝は神爾を奪還するよう義政に命じる。

ある日、富子の前に南朝復興を断念して落ち延びてきた伊吹十郎太があらわれ、富子に三種の神器のひとつである勾玉を渡す。

翌年、富子は死産の不幸にみまわれた。

勝光と重子は今参局が呪詛調伏を行っていたとの証拠を作り上げるため、後妻(うわなり)打ちを仕組む。

罠に掛かったと悟った今参局だったが申し開きもしないままに流罪を受け入れ、流刑地に向かう地で自害するのであった。

■DISC.3第8回  『飢餓地獄』長禄4年(1460)、冷夏と台風が異例の大飢謹をまねいた。

畠山義就は管領 細川勝元に救済措置を申し出たが、幕府に異を唱えたとはめられ、追討令を出されてしまう。

市中にて施し粥を始めた富子は飢餓により多くの者が死んでいく地獄絵図を目のあたりにする。

この生き地獄を止めるには幕府の救済が必要と考えて義政や勝元ヘ訴えるが、二人とも聞く耳を持たなかった。

この飢謹で8万2千人の死者が出たという・・・。

第9回  『米狂言』政所の飯尾左衛門大夫の知恵により五山の米を放出することを考えた富子は、五山の東班衆を呼び出し米を放出するように告げる。

だが東班衆たちは不作と治安の悪さを理由に富子の申し出を断る。

富子は帝に直訴したうえで季瓊真蘂を通して五山から2千石の米俵を運ばせた。

しかし米俵の中身は籾殻であり、米商人の誤解をまねいて米の値を下げさせる策略であった。

願阿弥とともに施し粥を続ける富子に対し義政は「人の死は天のさだめ」と語り、死者の供養に金を使うように告げる。

第10回 『将軍の母』寛正4年(1463)、義政の生母である日野重子が病に倒れた。

見舞いに訪れた富子に、山名宗全を味方につければ後々に富子の力になるだろうと重子は告げた。

富子は細川勝元とともに「宗全を総大将に義就追討の軍を出すべき」と義政を説得し、宗全を京へ戻すことに成功した。

京に戻った宗全は畠山義就追討の総大将として、2年以上も籠城している義就軍を殲滅するのであった。

義政と富子は連れ立って重子の見舞いに出向いた。

そこで富子は今参局の死の真相を聞くのであった・・・。

第11回 『逢魔が時』寛正5年(1464)3月、義政は浄土寺の弟 義尋を訪ねて将軍職を譲りたいと告げる。

浄土寺の庭で森侍者に出会った義政は森侍者の鼓にのって念仏踊りに興じる。

ある日、管領 細川勝元が義政のもとを訪れ、舅である山名宗全の子 毘沙王丸を養子に迎え入れたことを報告する。

それを聞いた義政は、自身も義尋を養子にえ入れれば将軍職を辞すことができると考えた。

その年の秋、鹿苑寺金閣にて催された夜能見物の席で義政は富子に「将軍職を退こうと思う」と告げる。

■DISC.4第12回 『地獄門』将軍職を退くという義政を諫めるために山名宗全が訪れた。

しかし義政は聞く耳を持たない。

その後、義尋が細川勝元を後見役として義政の養子となった。

還俗して名を足利義視とした義尋は新たな足利将軍家の家督継承者となった。

富子の兄 日野勝光は娘の松子を義視に嫁がせるための口添えを富子に頼む。

その時、義政との出会いについての駕愕の事実を、富子は兄から知らされることとなる・・・。

第13回 『和子誕生』寛正6年(1465)年、懐妊した富子は山名宗全に覚悟のほどを告げた。

その夏、富子は石清水ハ幡に参拝して男児誕生を祈願する。

その夜、笛の音に導かれて森侍者と出会った細川勝元は、森従者が持っていた水の橋の扇が富子の扇と似ていることに気づく。

そのことを問いただされた日野勝光はしらを切り通す。

しばらく後、勝光は森侍者殺害を遊女屋の主人ごうと右馬助に依頼するが、右馬助は森侍者を殺すことはできなかった。

その年の11月、富子は待望の男子を産む。

第14回 『宗全謀叛』富子に男子が産まれたことで幕府内はにわかに混乱する。

富子が山名宗全を後ろ盾に春王(後の足利義尚)を将軍後継者に擁立しようとしていることに、義視と勝元は危機感を抱いた。

さらに三管領の斯波氏と畠山氏でも家督争いが勃発。

越前・尾張・遠江の守護である斯波氏では義敏と義廉が争っていた。

春王の擁立を画策する宗全は自分と義視が斯波家内紛の解決を図ると見せかけ、幕府に謀反を企てているという噂を流す。

これは捨て身の策略でもあった・・・。

第15回 『文正の変』義視と宗全の謀反の噂が義政の耳に入る。

富子は宗全の本心が義視を謀反人とすることにあると勝元に明かして事態の解決を頼む。

勝元は伊勢貞親と季瓊真蘂の流言だと義政ヘ報告して両者を失脚させる。

これが世にいう文正の変である。

宗全の策略は失敗に終わったが、すぐに富子は河内国で交戦中の畠山義就に援軍を送る。

これで勝利した義就は上洛を果たす。

勝元は宗全からの養子・毘沙王丸を仏門に入れ、側室に産ませた子に家督相続させると決意。

これにより宗全と勝元との仲は完全に決裂する・・・。

■DISC.5第16回 『富子対義政』文正2年(1467)、畠山家の相続争いが激化する。

義就を当主に据えたい富子と宗全は一計を案じる。

将軍が管領の政長邸を訪れる元旦参仕の返礼を阻止し、義政を宗全の館へ導く。

そこに待っていたのは義就であった。

義政は義就の訴えを聞き入れ、管領を政長から斯波義廉にし、義就の畠山家の相続を認めた。

義政は勝元を呼び政長から手を引くように告げる。

ついに義就が挙兵。

政長は勝元に援車を要請するが、勝元はこれを断るのであった。

第17回 『応仁元年』政長は上御霊社に立て籠もり応戦していたが、宗全と義廉が援軍につく義就勢におされていた。

見かねた勝元は密かに政長を戦場から助け出し、身を隠させた。

義政は勝元に義視を将軍に就けるのは来春あたりと告げるが、勝元はそれでは遅いと思った。

これ以上の戦乱が起こらぬことを祈願した朝廷は元号を応仁と改めた。

それでも各地の合戦は収まらず、とうとう勝元も挙兵した。

義視を将軍として迎えるため室町第を手中に収めるという実力行使に出たのである。

第18回 『室町第包囲』応仁元年(1467)、勝元は室町第に本陣をかまえ義視を総大将として宗全と対陣した。

京を追われていた政長も1万の軍勢で参陣して、勝元率いる東軍は8万の軍勢に膨れあがる。

対する宗全の軍はわずか1万。

両軍は堀川を挟んで対陣していた。

勝元は戦の大義を示すため幕府に武家の御旗を要請するのであった。

それが叶えば東軍が官軍、西軍は賊軍となる。

春王の身の安全を心配ずる富子は宗全の館へ矢文を放つ。

矢文を読んだ宗全は富子の心中を察し、奮起するのであった。

第19回 『東軍西軍』東軍の諸将は勝元の号令を侍ちわびていた。

しかし勝元は官軍の証である武家の御旗が幕府から授与されるまで動く気はなかった。

宗全ばかりをかばう富子に憤慨した義政は御旗を東軍に授与してしまう。

かくして勝元が率いる東車8万と、宗全が各地から援軍を募り4万となった西軍が激突する大合戦が始まった。

京の市中や寺社は戦火に包まれる。

なかなか戦況が動かないことに不安を覚えた義視は日野勝光にそそのかされ春王の毒殺を謀るが・・・。

【出演】三田佳子、市川團十郎、野村萬斎、佐野史郎、草刈正雄、平 淑恵、市川新之助(現・海老蔵)、役所広司、松本幸四郎、松たか子、松岡昌宏、奥田瑛二、藤岡 弘、永澤俊矢、ルー大柴、鶴田真由、かたせ梨乃、壇 ふみ、萬屋錦之介、京マチ子 ほか○1994年放送*DVD5枚組*収録時間本編833分/画面サイズ4:3/カラー

  • 商品価格:19,440円
  • レビュー件数:0件
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